施工事例

漆喰の塗り替え工事-是非に及ばず、の意とは


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Before:
漆喰の色が変色しています。漆喰が老化しているためです。

After:
漆喰の塗り替えが終りました。漆喰は再び呼吸し始めました。屋根は生まれ変わったのです。


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Before:
棟の瓦を外すと全貌がみえます。この漆喰はすでに20年を経過しています。そろそろ取り替えないと、雨漏りの原因となってしまいます。

After:
何という鮮やかな白でしょう。まるで今生まれたばかりの赤ちゃんの肌の様です。

是非に及ばず、屋根漆喰の宿命

はじめに

織田信長が本能寺で討たれたことは、誰もが知っている歴史的事実です。その最期の時に彼が詠った謡曲「敦盛」の一節では、「人間五十年…」と詠われています。そして敵が他ならぬ腹心の明智光秀だと知らされたとき、彼の吐いた言葉が、「是非に及ばず」だったとか。49歳にしてその最期を遂げた武将には、下克上時代の武人としての、その覚悟が出来ていたのかもしれません。
命あるものが必ず最期を迎える理には、是非に及ばず、とする諦めも必要です。それは単なる諦めではなく、今起こっている現実をしっかりと受けとめるということです。息あるものの宿命とも言えるでしょう。
さて、それは人間の生き様のお話ですが、家の屋根にも寿命があります。例えば日本瓦なら50年~100年、スレート瓦だと30年くらいだと言われています。
屋根の漆喰にも寿命があります。
そうしてみると、漆喰の場合の「是非に及ばず」とは、その塗り替えが必要になった時に言われる言葉となるかもしれません。またそこに信長の謡曲を当てはめるなら、さしずめ漆喰の場合は、「漆喰、二十年…」と謡えるかもしれません。

屋根の様々な老化現象

釘の浮き


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棟瓦を抑えている釘の浮きが生じています。瓦が強風であおられて浮かび上がったものでしょう。

防水コーキングの劣化


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瓦と瓦とをつなぐ防水コーキングの老化現象も生じています。このままだと雨水の侵入が心配です。
まさに是非に及ばないでしょう。

瓦のズレや破損


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絶えず風雨にされているための自然な劣化でしょう。

瓦の割れや破損


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こちらは瓦が2~3枚、割れたりひびが入ったりしていました。雨風ではこうはなりませんので、多分、
テレビアンテナが倒れた時に出来た破損かもしれません。今回判明した修理箇所の中でも最も雨の侵入しやすい危険な状態です。事態は、一刻を争います。

漆喰の劣化


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漆喰は、長い間の収縮でこのようにひび割れたりします。


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老いた漆喰とは言え、長い間この家を守ってくれました。そろそろ交代の時期かも知れません。
このままでは風雨に対抗できなくなります。まさに「是非に及ばず!」です。

屋根の補修工事

漆喰の塗り替え


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新しい漆喰が塗られました。何と輝かしい白でしょう。まさに新しい生命体を見るようです。漆喰は呼吸しています。そうして生きた状態で屋根を守ってくれるとは何という頼りになる存在でしょう。だから私たちもその屋根の下で安心して生きられるのです。

瓦の入れ替え


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割れた屋根瓦も取り替えられました。

棟瓦のビス打ち


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浮いた釘の代わりに新たなビスが打たれて棟瓦を抑えました。

下屋(階下の屋根)の漆喰の塗り替え


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一階屋根の漆喰も同じように劣化していました。


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その屋根の漆喰も同じように塗り直しされました。

漆喰と練り

漆喰とは、消石炭と砂などを混ぜ合わせたものが水で練られたもので、その優れた密着性、気密性、粘着性などから、瓦工事には不可欠な存在となっています。漆喰はまた壁にも用いられます。例えば、つい最近では、平成の大修理で名を馳せた国宝・姫路城の外壁が、漆喰で塗られて見事な真っ白に生まれ変わりました。まさに白鷺城の名をあらためて知らしめる結果ともなっています。漆喰は防火性、防水性、気密性に優れていて、また防弾性にも優れたものとなっていますから、城郭建築に適した壁材ともなっています。それが信長の安土城にも用いられていたかというと、その城が現存していないので今ではよくわかりませんが、再現されたレプリカ(安土城博物館・滋賀県近江八幡市)などを見ると、壁はむしろ黒ずくめですから、ひょっとしたら黒く加工した漆喰が用いられていたのかもしれません。


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一人の手で、丹念に練られることにより生命をおびる漆喰

補修工事の完了


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漆喰の補修、またその他の屋根の修理により完全に補修工事は終了しました。もう大丈夫です。

■ まとめ

工事は終了しました。漆喰は、だいたい20年ほどで塗り替えが必要となります。呼吸し、生きている漆喰にはどうしても寿命があります。そして、寿命が来た時には、信長のように「是非に及ばず」と塗り替えを決める覚悟が必要かもしれません。
そう言えば、先ほどの写真で見た、屋根の棟にあるトンガリの三角形の棟飾りは、新しがり家で進取の気性に富んだ信長の立像にそっくりです。彼は、遠いローマから大洋の波濤を超えて、命がけでやって来たイエスズ会のザビエルを代表とするクリスチャン使節団の、その心意気を買い彼らを手厚く擁護しました。そして安土城下には自らがセミナリオ神学校を建立し、後にローマへ15名の少年使節団を送ったりもしています。その三角形の棟飾りを見ていると、ふと、その天才武将が、そうした孤高で孤独な姿を、西洋式の黒マントで気取って身をひるがしている姿のように思えてなりません。
その意味で、そのトンガリは、孤独で孤高なうちに家屋を守る瓦や漆喰の存在にも重なります。つまり「是非に及ばず」の、その宿命を物語っているように思えてならないのです。

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