施工事例

E様邸瓦屋根の葺き替え工事施工事例


before

After

Before:
築年数がもう50年近いというE様邸。よく使い込んでおられます。新しい家もいいですが、
古くても良く手入れされている家は、そこに住まう人の温かいお人柄を感じさせてくれます。でも古い屋根瓦には物理的な限界があり美観も損なわれています。よく頑張りましたが、その限界はもう超えているようです。

After:
E様のご自宅の、その屋根越しに見える富士山。頭に白い冠を頂いたその姿は何という美しさでしょう。その富士山に負けず劣らず、新しくなった鋼板葺きの屋根は美しく輝いています。家が美の冠を頂いて誇らしげに感じ入られます。日本瓦は重いでしょうから、長年の肩の荷を下ろしたようで、ほっとしているようにも感じられます。富士山の美は白い冠ですが、この度のE様邸は黒い美の冠となっています。

◼︎E様邸瓦屋根の葺き替え工事施工事例 富士山に学んだ屋根の美しさ-「李下に冠を正さず」の教え

はじめに

静岡県のF市にお住いのE様は、何と言っても自宅から見える富士山がご自慢です。富士山は単独峰で日本一の高さがあり、またその秀麗な姿から日本の象徴ともなっています。季節によってまた時刻によっていろいろな変化に富む富士山ですが、何と言っても一番美しいのは、頭のてっぺんからその2合目あたりにまでに、白い冠のような雪を頂いたその立姿ではないでしょうか。
その富士をいつも自宅の手前から、つまり自宅の屋根越しに見ておられるうちに、やがて自宅の冠に相当する屋根の古さと汚れとに気付かれたE様。そこでこの度、勇を決し、屋根の改修工事に乗り出されました。外壁は数年前にリフォームをしてサイデングを貼られたのですが、やはり冠を正してこその美しさと大切さを、その富士山の白い冠から啓示されたからでした。

屋根の惨状


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瓦を取り除くと、ご覧のような惨状。防水紙(ルーフィング)が破れており野地板の一部も腐りかけています。これでは雨漏りするのも無理からぬことでしょう。


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増築部分のトタン屋根もすっかり錆びついています。かろうじて雨はしのいでいたようです。

新しい野地板を敷設


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古くなり劣化した野地板の替わりに、新しい野地板が張られます。

ルーフィングを敷設


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工事は既存のスレートを残したままで、その上に新しい屋根材が張られることになりました。これを屋根の重ね葺き(カバー工法)と呼んでいます。古いスレートを残したままで、そこに新しい屋根材を重ねて施工するため、古いスレートを外す手間や費用がかかりません。
しかも、屋根が二重になることで防水性が高まり、断熱性や遮音性が増し、さらに耐久性も高まるという合理的な方法です。そこでまずは、既存のスレートの上に直接新しい防水紙(ルーフィング)が敷かれました。単なる紙ではありません、アスファルト系の防水性が高い素材を含んだ厚手のシートで、屋根の下層に雨水が浸み込むのを防いでいます。

鋼板製の新しい屋根材の敷設


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野地板の上に新しい防水紙が敷設されます。単なる紙ではありません。アスファルト系の素材を加工した防水性能が高い厚めのフェルト紙のような素材です。これにより万一、雨が屋根材を透過した場合でも、それより下への雨水の浸透を防いでくれるのです。

冠は、卓越の屋根材


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以前はスレート瓦でしたが、今度は丈夫で軽い鋼板製の屋根材に葺き替えられることになりました。ガルバリウムがその名称です。比較的新しい製品でアルミニウムと亜鉛の合金となっています。特徴は、耐蝕性や耐候性に強く、耐久性に富んでいます。また軽くて薄いので加工がしやすく、職人さんからも人気があります。屋根の構造によっては細部の形状に対応するために加工する必要があるからです。薄いため、遮音性や断熱性が低いことが多少の弱点ではありますが、今ではその裏面に断熱材が加工されたものもあり、より卓越した屋根材として重用されています。


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加工がしやすい特質のゆえに、屋根のこんな入り組んだ谷合部分でも、柔軟に対応できます。そうした加工のしやすさが職人の気心と施工の質を良くさせて、良い工事にもつながります。


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そうして完成したこの写真をもう一度ご覧ください。背後の富士山の冠には及ばないとしても、それに恥じることのない美しい黒い冠となりました。

■ まとめ

中国の古いことわざに「李下に冠を正さず」ということわざがあります。日本でも有名なことわざです。ところがその日本では、そのことざわを反対の意味に解して「李下に冠を正す」と覚えている人が案外に多いようです。
いかにも日本人らしい、自らの姿勢を正す、というような真面目な解釈です。しかし、その本当の意味とは、桃の木の下にいる時に冠を正そうとして手を上げるなら、それを見ていた人に、桃を盗もうとしているような誤解を与えることになる、つまり余計な動きはしない方が身のためだ、という教訓なのです。
ただ、たとえそのような誤解による反対の意味であったとしても、冠を正す、というその解釈のあり方が、それが物事への真剣な取り組みや、また真面目な考え方や生き方に通じていくなら、それは決して悪い事ではなく、むしろ歓迎すべきことのように思えますね。
その意味で、今回のE様の家に対する考え方やご決断は、最終的には、良い結果となったようです。富士山の美しい冠に心打たれて、家の冠も美しくまた正しくされたからです。

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