日本に数あるイベントの中でも、特に盛り上がるものといえば、バレンタインデーですよね。日本でバレンタインデーといえば、一般的には女の子から男の子にチョコレートを渡すイベントという認識があります。
でも、本当はそのようなイベントではないと知っていますか? バレンタインデーは女性がチョコレートを配る日ではないのです。
この記事ではバレンタインデーの由来、日本のバレンタインデーの特徴について紹介していきます。
バレンタインデーの「バレンタイン」は人の名前だった
バレンタインデーの「バレンタイン」とは西暦3世紀、イタリア中部に実在したキリスト教司祭の名前です。実際の読みはバレンティヌスと発音しましたが、英語読みになるとこれがバレンタインと変化します。
では、バレンタインがなぜバレンタインデーの名前の由来となったのでしょうか。
法に逆らい若者たちを結婚させていた
西暦3世紀のローマでは、若い男性が戦争に積極的ではありませんでした。何故なら若い男性には若い妻がいて、小さな子供がいたからです。
愛する家族を置いて戦場で死んでしまったら残された家族があまりにもかわいそう。そのような理由から、徴兵を拒む男性が非常に多かったといわれています。
当時のローマ皇帝クラディウス二世はこの風潮に頭を悩ませていました。男子が戦争に参加しないと国軍の戦力が低下すると考えたからです。そして、最終的にクラディウス二世は結婚自体を禁止してしまいました。
しかし、イタリア中部インテラムナ(現テルニ)にいたバレンタイン司祭はそんな無茶苦茶な法を無視し、こっそり若い男女を結婚させていたのです。この噂はローマにまで届き、クラディウス二世の耳に入ります。
クラディウス二世はバレンタイン司祭にすぐに結婚を中止するよう忠告しましたが、バレンタイン司祭はその忠告を断固として拒否しました。
忠告を拒否され怒ったクラディウス二世はバレンタイン司祭を投獄し、最終的に処罰してしまったのです。バレンタイン司祭が処罰されたのは2月14日でした。
恋人達の神様となったバレンタイン司祭
それから200年後のローマでは2月15日にルペルクスというお祭りが開催されるようになりました。これは各年の収穫の成功を祈る豊穣祭として開かれていましたが、若い男女の間ではもう1つの意味を持つ重大なイベントでもありました。
当時のローマでは若い男女は別々の場所で生活することを義務付けられていましたが、このお祭りの間だけは若い男女がともに時間を過ごすことを許されていたのです。
ルペルクス祭の前夜、2月14日に女性は自分の名前を書いたカードを桶に入れます。
そして翌15日に男性は一枚カードを引き、そのカードに書かれた名前の女性とお祭りの間一緒にいることができました。多くの男女はこのイベントで過ごしたパートナーと恋に落ち結婚していく、というパターンが多かったようです。
若き恋人達の為に処罰され命を落としたバレンタイン司祭は200年後のローマでは恋人達の聖人として崇められ、命日の2月14日にはこのようなお祭りが開かれるようになったのです。
チョコレートとバレンタインデー
ところで、バレンタインデーにチョコレートを渡すのは、世界共通ではないということを知っていましたか?
海外ではバレンタインデーにチョコレートの代わりに、ルペルクス祭に因んで女性から男性にカードを渡します。これが世界の一般的なバレンタインデーです。
チョコレートは企業戦略だった
バレンタインデーにチョコレートを売り始めたのはなんと1936年。モロゾフが初めてでした。しかしこのキャンペーンはあまり浸透せず戦争の煽りもあり、忘れ去られることとなります。
それから20年後の1958年、当時の製菓会社メリーチョコレートが再びバレンタインデーにはチョコレートを渡そうというキャンペーンを新宿の伊勢丹で大々的に打ち出しました。
キャンペーン内容は女性から男性にチョコレートを渡す、というものでした。
女性からという発想はルペルクス祭もありましたが、当時の伊勢丹デパートの利用者は圧倒的に女性が多かったからだといいます。
このキャンペーンは見事に大当たりし、現在はチョコレートありきのバレンタインデーとさえ認識されるようになった、というわけです。
まとめ
このように、バレンタインデーとははじめは趣旨の異なるイベントでした。現在の日本のバレンタインデーといえば、本命チョコから、義理チョコ、友チョコなど、チョコレートやお菓子を渡して楽しむイベント、という意味合いが強いといえます。
とはいえバレンタインデーを機に交際がスタートする男女もきっといるはずです。バレンタインデーの由来を頭の片隅に置きつつ、チョコレートと一緒にイベントを楽しむと良いでしょう。
また、女性が渡す本命チョコにはルペルクス祭同様、中に手書きのカードを入れておくことで、さらに気持ちが伝わるはずですよ。